2007年11月24日 (土)

MIND GAME と言うGAME

GAMEシナリオも上手くいっているとも言えるのだけれども、久ぶりに時間を作れたのも、風邪をひいているせいなのかも知れない。やっと、Blogに戻ってきている。ココログに書くのは半年ぶりと言う事になる。

「帝国の姫君達」は既に一部は目的を達成したとも言えるので、成功の部類に入ると考えている。その意味では「GAME}は上手く行っている。そう言えば、この「アキナを聴きながら。」の目的がほったらかしになっていた。こちらは、MIND GAME になるのであろう。

このブログは小説を書く為に作ってあったのだと思い出しているようでは、心もとない。

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2007年3月 6日 (火)

アル・マージュ(波)

その美しい女は、頭をすっぽりと被い、体を隠した衣装を着ていた。ムスリマ(イスラム教徒の女性)であった。
部隊は激戦地を制して、海側の町に入っていた。アザーン(コーラン)の声が響く町であった。私は兵士3人で、海縁のコテッジに宿泊していた。彼女が私を尋ねてやってきた。私を探し当てると、私の身の回りの世話をし始めた。英語も解からず、現地語もこの地域の言葉は理解できるものの、方言が違うようであった。
彼女が来たら、そのコテッジには私達二人だけになっていた。会話の無い生活の中で、波の音だけが、聞こえていた。昼の慎ましさと夜の激しさは、まるで、アラビアンナイトさながらであった。私はドラッグストアに行き、その為の物を買ってきたが、彼女は不思議そうに見ていた。
2日程で、たどたどしいながら、英語の解かる下士官が、帰ってきたので、彼女は何者で、何をしに来たのか、聞いた。すると、下士官は他の兵士に色々と聞いてから、「貴方が、あの女の許婚を、殺したから、やってきたのですよ。」と答えた。悪魔なのか、天使なのか。
私は念のため鍵をかけておいた引出しの鍵を開け放った。中には、多少の金と銃、それにナイフが入っていた。彼女は興味を示さなかった。私は苛立って、翌日の夜に、彼女にナイフを持たせて、私の喉に向けさせたが、嫌がって力なくナイフを持たなかった。それで、拳銃に替えて、私は銃口を咥え、彼女に引き金を持たせたが、泣き出してしまった。彼女には殺意はなかった。私は泣く彼女を、口うつしに縛った。
私が海を見ていると、後ろから抱き付いてきた。ベール越しに吐息が、頬にかかった。熱帯の花はヒラヒラと舞っていた。彼女のこころもヒラヒラと動いているように感じていた。
程なく、激戦が始まるので、今度はどうでも、決着は付くと思っていた。しかし、将校が迎えにきて、どう言う訳か、私は戻される事になった。彼女とも別れる事になった。将校は私達の生活の後始末をするように彼女に言いつけた。2日は掛かると思った。彼女は、笑顔で送ってくれた。彼女は、孤独など、愛していないと知った。
将校に、車で、2時間ほどの鉄道駅のある拠点の町まで、連れていかれる事になった。
その車中で、英語の堪能な将校に、この事態の説明を求めた。彼女は、自分の許婚が、殺されたのは、誰彼構わない戦闘ではなく、美しい自分を奪うためだったと思わざる負えなかったのですよ。それがここの掟なのです。彼女は日本だろうが。何処だろうが、地の果てまで、貴方を追いかけますよと言った。私は怯えた。何か方法はと言う私に、どうせ、貴方を殺せと言われて来たのですよ。それでは、私が上手く、貴方を殺した事にして、あげましょうかと言った。
そのまま、町に着いた。私は拠点の事務所で、どう言う訳か満額の日当を受け取り、彼が武器を高く買い戻させてくれたので、かなりの金額が手元に残った。お礼と、一部を渡すと、彼は、現地通貨で、きっと、現地では大金と思われる札束を加えて、お礼だと返してきた。私の戦闘服を渡すと、鶏の血を付けてきて、それに、ナイフで切り込んだ。そして、私は認識票も渡した。
その将校は、私を駅まで、送った。振り返ると、銃を撃つ真似をしていた。私は撃たれた振りをした。子供の遊びにもならなかったが、それが、別れの挨拶であった。
女はその美しさ故に2人の男が、彼女を争って死んだ。それが、女の罪である。
その罰で、女はエリート将校の妻になる。さらに、美しい女は、その美しさと言う刺で、夫を悩ませる事であろう。そして、蜜のような甘い生活が始まるのであろう。

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2007年3月 5日 (月)

雨が降ってた・・・

雨が降ってた・・・

小学3年生の時、僕は今で言えば、精神錯乱状態だった。永久歯が生え揃ったからだろうか、歯の矯正をさせられた。当時としては高価な治療だったようである。しかし、僕にとっては、拷問意外の何者でもなかった。食事もうまく取る事も出来なかった。パニックになっていった。学校ではもっと深刻だった。給食もゆっくりしか食べられなかった。教科書を丸暗記しているので、教科書も開かず、当てられるとそのまま朗読した、場合に依っては、本も見ずに、パンを食べながら、朗読した。教師の怒りをかった。親達に、連絡が入った。父親には酷く殴られた。母親からは「出来損ない。」と言われて、「死んでしまえ。」と放り出された。
僕は、そぼ降る雨の中を、傘を持ったまま濡れながら、さ迷っていた。
その一つに死に場所として、丁度良い所があるのに、気がついた。
そのは、直撃弾で何十人もの人が死んだ大きな溜め池になっている地下塹壕の跡地で、深く水が溜まり、夏には、何人もの子供が水死した。その度に、戦死者の霊に引きずりこまれたと噂していた。日が落ちれば、もう、近づく人もいなかった。
僕は、ポケットにビー玉を一杯詰め込んでいたために、誤って、足を滑らせて、池の中へ沈みこんで、死んだ子の話を思い出した。それで、ポケットに一杯、石を拾って詰め込んで、池に近づき、もう一歩で池の淵と言う所にまで、進んだ。
その時、「ポチャ」と水音がした。慌てて見返すと、下水管から、なにやら、2つの光る眼が見えた。それがゆっくりと姿を見せると、子供だったので、まるで猫ほどの大きさと感じるほどの頭の禿げた年老いたどぶねずみだった。よたよたと僕の手の届きそうな所まで近づき、なにやら、髭繕いを始め、口をもぞもぞと動かし始めた。
「おい、坊や、ここで、死んでもらっちゃ、迷惑なんだよ。俺なんか、みっともなかろうが、見苦しかろうが、目立たないように、泥の中を、逃げ回って、生き延びてきたんだぜ。俺がカッコウなんて気にしていたら、とっくに、猫や狸に食われちまっているさ、とにかく、生き残る事しかなかったのさ。人がどう言おうが、そんな事は俺の知った事か。俺は生きている事だけで、精一杯なんだ。生きていりゃ、また、良い事も一杯あるんだぜ。坊や、そんな所でずぶ濡れになっていると、本当に肺炎になって、死んでしまうぜ。」
どぶねずみのとっつあんは、よたよたとシッポをくねらせながら、下水管の方へ行った。
下水管に入る前に、振り返って、「ニッ」と微笑んだ。そして、管の中に消えた。
僕は大声で、精一杯泣いた。そして、ポケットの石を池に捨てて、傘をさして、戻った。
雨が降ってた・・・
半年~一年後には、歯科矯正も終った。今でも、綺麗な歯並びで、フッ素を塗っていたのか、抜けた歯は親知らず以外にはない。思えば、不思議な事だと思っている。何か極限状態になると、植物でも、動物でも、何かテレパシーのような物を感じる事がある。こちらの方が、私には解かり易いのである。

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2007年2月25日 (日)

「少女A」の墓

中森明菜さんが、爆発的に世に認められた楽曲に「少女A」があります。私はこの楽曲を好きではないし、中森明菜さんに偏見を持つ事にもなりました。この楽曲に出てくる少女は、好奇心からか、男性を誘惑しています。そして、「少女A」とは、犯罪を匂わせていると言うのです。一部で、放送禁止になったのも、その理由です。つまり、少女Aは犯罪に通じる少女だと言う訳です。
中森明菜さんは、当時も、不良少女・「少女A」でもないし、寧ろ健気な女性だと思っています。私は、苛めにしろ、人の権利や所有物を奪う行為は犯罪行為だと思っていますから、「少女A」は、そうした道徳に外れる生き方をしている女性と言う事になります。その「少女A」のその場限りの生き方を歌の中で演じた歌手が中森明菜さんだったのです。
私には、小林桂二さん・桃井かおりさんが演じる「喝采」のようには出来ないと思います。むしろ、父の姿にその老マネジャーを見ています。父には有名歌手になった教え子がいました。父が、家族を置いてそうなるのだったら、そうなって貰っても良かったとさえ思っています。「喝采」に出てくる演歌歌手(桃井かおりさんが演じています。)は、その自堕落な生活からも、まさに、「少女A」を地で行っています。父は、よく単位を取れない学生の面倒を見ていたと聞いていますが、かえって誤解を招いたと思っています。
父が死んでかなりの年月が立つのですが、私は虐待されたと思っていますから、供養する気にはなれないのです。しかし、父が思いを寄せた「少女A」のために地蔵を建てたいと考えています。私は仏教は好きではないのですが、中国の寺で、「地獄経」を貰ってきました。漢字なので意味は解ります。その地御に落ちた者達を救うのが、地獄菩薩(地蔵菩薩)ならば、父を地蔵様として祀るのも、供養になって良いのだろうと考えています。
そして、その身勝手さから、私も妹も幾度とない苦労をする事になった母こそこの「少女A」なのだと気が付いています。「少女A」達の救い場所が「歌姫館」ならば、そこに一つの地蔵菩薩を置いておこうかと思っているのです。

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2007年2月12日 (月)

初めて出会った日のように。

話疲れた僕の目から、涙が零れて君の小さな指の間を通り抜けて行く、見上げた君は、僕に代わって話かけてくる。
「キツネ、コンコン。タヌキさん、プクー。
みんなで、おもちを焼こうね。
おもち、おいしいネ。
みんなで、食べようネ。」
「上手だね。キツネさんだよ。」と僕は指を合わせて、月光に影を作って見せる。誉められたせいか、ニッコリ笑って、頬を真っ赤に染めている。
まだ、三歳の妹である。僕の膝の上で、思いついたままの話を聞いてくれている。僕達にはそんな事しかなかったのである。
七歳の僕は三歳の妹と一緒に、親戚に預けられていた。父母の不仲が原因だったと後で知った。
僕は着替え以外に何も無かった。君は、薄汚れた小さな人形以外に何も持っていなかった。
僕は、君と出合った日の事は決して忘れない。
父に連れられて、映画や本屋に行っていた。そして、病院に出かけた。母もこの日ばかりは、ニコニコとしていたし、父も嬉しそうだった。こんなに仲が良かった日を僕は生涯知らない。
そして、育児室から連れてこられた君を見た。君と初めて出会った日である。
僕はこれで、父母はもう仲たがいはしないだろうと思った。そして、君に出会えた事をこれほどまでにも、嬉しく思った。
しかし、その期待はいとも簡単に打ち砕かれて、君までも一緒にさ迷う事になってしまったのである。
僕は、再び話の続きを始めた。
僕の膝の上で出来た作家の兄、詩人の妹の光景である。
君も僕も成人して、家庭を持った。もう、お互いに特別な行事でもない限り会う事も少ない。もう、君の昔の写真すら、僕の手元にはない。
僕にとって、君に話した物語を忘れる事が出来ないのである。今、僕はきっと、貴女を君だと思っている。初めて出逢った日のように。

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2007年1月 7日 (日)

赤い薔薇が揺れた。

私が、万が一にも、そんな機会はないのだろうけれども、希望を失っていた中森明菜さんを、ゲーム業界での仕事を探して、連れ歩いたと仮定していたら、どの様にしていたのだとうかと、空想してみているのである。古いドラマ「喝采」に桃井かおりさんが演ずる歌手と、小林さんが演じる老マネジャーが、連れだって歩く、芸能生活景が演じられている。
大物歌手なので、このドラマのような事はないと思うのであるが、寧ろ、この頃の明菜さんの精神状態の方が難しいのだと思うのである。そんなシュミレーションからでてきたのが、この「帝国の姫君達」なのである。
幼少期に、両親の不和から、まだ、三歳位の妹と、遠戚の家に預けられていた事があった。私は、四歳位の時から、隣家の国文学者(後に大学学長)の所へ、よく遊びに行って行って、そんな学術書を絵本代わりに読んでいた。どうして良いかも解らず、膝に抱いた妹を宥めるために、話を作って聞かせていた。ボロボロの人形の外に、玩具さえない生活であった。神経的に苛立つ女性には、やはり、華やかなストーリーが良いと思っている。まだ、小さい妹は、不安に怯え、どうにも、出来ないのである。しかし、不思議に、私の話には聞き入ってくれたのである。そして、何か片言を返してきた。私の膝の上で、出来上がってきた作家の兄、詩人の妹の光景である。
実際のゲームに仕立てようとしたのは「源平歌姫伝」である。しかし、同じ様に「帝国の姫君達」も脳裏に浮かんでいたのである。この作品は、本当は、明菜さんを追っているうちにネット上で知り合った椎名可憐さんのブログにカキコしていた頃は、上手く行ってないようで、本当に心配したのだけれど、うつの時には、コレが良いかなと思ってブログに書き始めたのであるが、つい先頃、椎名可憐さんは再婚なさったし、しかも、読んでいると頭が痛くなると言われてしまったので、失敗作かなとも、思ったのである。少なくとも、この話は彼女には必要ないのである。しかも、最初は、読者欄に三人しか読者がいなかった。「偉大な作家には、三人読者が居れば良い。」と言った大家がいたので、続けて見た。
ゲームがストレス発散には効果がある事は知られているのであるが、うつ状態の女性のための、ソフトはあまり聞いた事がない。それで、華やかな後宮風景を取り入れたゲームはどうだろうかと、思ったのであるが、なかなか、作れる人物が見つかるとも思えない。それで、ネット上で、公開して、色々と様子を見てみれば、どうすれば良いのかも、解ってくると思った。うつになっている人には、気分がパッと明るくなるような話の方が効果があるかも知れないと思っている。
いずれにしろ、聴いて貰える相手もないのでは評価のしようもなく、ネット上に公開して、読者の反応をみて、どのようにしていくのか、決めていきたいと思っている。幼い妹が、話が面白いと、頬を真っ赤に染めて、聞き入っていた光景が忘れられない。今、思い出すと、赤い薔薇が揺れているように、感じている。

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2006年11月12日 (日)

CROSS MY PALM

写真集「CROSS MY  PALM」中に、一枚だけちょっと、違う感じの写真が入っています。ビデオには出てこない風景なのです。街角で、編み物をしている光景なので、もし、実際に明菜さんが、そこに座っていたとしても、まして、外国ですから、誰も気が付かなかったのかもしれません。この写真家は、スーパースターとしての明菜さんと、普通(何処にでもいる女性)の女性としての明菜さんを描き分けているだと考えています。
「帝国の姫君達」は、80年代のスーパーアイドル達を、時代を超えて表現していると思っています。神殿とは、彼女達を作り出したメディアなのです。現代社会におけるメディアこそは、女神を作り出す不思議な力の根源だと感じています。
普通の女性が、このメディアの力によって、女神になったその結末を、どう、考えていくのか、そこにまた、新しい神殿が築き上げられるのかも知れません。

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2006年10月21日 (土)

ヴィーナス誕生

中森明菜さんは、体形が7頭身、いや、8頭身なのである。すらりと長い手足は、理想の体形である。その手足がしなやかなのである。バレーで鍛えられた体での表現が、また、素晴らしい。日本人(ほとんどが、新モンゴロイド)に、これほどの女性がいたのかと思うのばかりである。手先が、美しい。爪の形にいたるまで、伸びやかである。手まねだけで、情感まで、表現できるのである。歌の心を、せつせつと語る女心を、指先、手先で微妙に表現できる人を他に知らない。足元が美しい。多くのビデオで、足元を映し出している。軽いステップから、ターンにいたるまで、その靴先で、見事に踊りこなしている。足元の美しい人は、本当に美しいと思う。

「うなじ」がたまらない。後姿で語れる人なのである。男は女性と接していて、後ろ姿で語られると抵抗もできませんね。映像の中で、「うなじ」を見せています。その細く、なだらかな首からの線が、さらに、男心をそそります。

体を反らせた時、その反りの深さとバランスが、またもや、美しいですね。バレーにも、そんなポーズがあるのでしょうが、歌の中で出て来るその「反り」のホーズは、歌のフェイズにも溶け込んで、歌のフィニッシュを際だ出せています。美しい「Fin」を演出しています。

声が素晴らしいのは言うまでないのですが、「可愛い」声から、激しい感情まで、かくも、幅広く表現できるのも、特徴だと思います。

耳の形が、良い。頭の大きさとバランスしている。ふっくらとして、頭の線とよく合っています。

頭髪が、柔らかいのである。特徴ある髪型はそのせいだと思う。多くの日本人は頭髪は硬い。そのために、生え際に産毛が生えている。この髪を、色々と工夫して、垂らしているのであるが、この髪の処理方法がブームになるほど、美しい。

デビュー時に歯を直したと聞いている。また、デビュー時にはタレ目だったが、今は上がり目である。そんな事をしなくても、十分に美人なのにと思っています。

目の動きが、男心をそそる。視線の動きが何かを語っています。

体全体で、動作で、美しく語りかけられる女性だと断言できます。私は日本に古来より生きづいてきたビーナス(美女神)の再来だと思っています。

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サンドベージュ

AKINA INDEX 23を百回以上も見たと思います。この二ヶ月後に明菜さんは自殺未遂をします。このビデオの中で、サンドベージュを唄い終わった時、明菜さんは、笑みを見せます。ほっとしたような笑顔を見せるのですが、歌の歌詞は、一人の女性を激しい情念を描いていますので、もっと、激しい表情は相応しいのですが、まるで、解脱したように柔らかい微笑みを見せます。

私は、ここに注目しています。明菜さんの歌詞の解釈はどうだったのか?火の鳥が出てきます。そして、火の鳥は「地の果てが何処なのか、教えてくれません。」。

火の鳥は不死鳥(フェニックス)、つまり、鳳凰を意味しています。

サンドベージュの主人公の女性は、傭兵(命を売る男)の情婦だと解釈しています。作詞者も、経験がないようなので、深く書いていませんが、隣にいた男が、次の日にはいない世界です。そして、その男達に恋を売ってきた女が、また、死地に男を送り出す。その時、錯乱した女に、今までに失った男達の事が、一時に思い出されて来る。救いようもない女の恋愛。

その極限にあって、火の鳥が登場します。そして、身をも焦がす女の、痛烈な質問に、火の鳥は、地の果て(地獄)は此処だとは、言わないのです。

この思想に、「TAO」の道を見出しています。長く苦海の中でもがくのも、一瞬。一瞬の愛も、また、永遠なのです。アジアの根底に流れる道教思想こそ、この火の鳥に託された救いの言葉だと解釈しています。

明菜さんは、サンドベージュの歌の中で、身を反らせます。あたかも、その男に身を委ねているように思っていたのですが、今は、解釈を変えています。明菜さんは、火の鳥の翼の中に、その身を委ねていると思います。

明菜さんは、サンドベージュに描かれている女性のような極限状態に至って、命を絶とうとします。

その時、もう1センチ、いや、もう数ミリ、深く切り込んでいれば、助からなかったと思います。その僅か、数ミリ切り込めなかった時に、去来したその心理に注目しています。

死の縁の一歩手前で見た虹色の光りを鏤める羽根の色が、その一瞬を決めただろうと思っています。火の鳥の不死なる愛に擁かれ、そして、歌い終わった時に見せる、解脱の微笑みに、明菜さんの救いを見たのは、私だけだったのだろうか?

全ての事件が決着した頃(2~3年後)に、「紅の豚」のパーティーに出席しました。まあ、遅かれ、早かれ、「GAME」を歌って頂くだけの事だったのかなと思っています。この曲は、明菜さんの代表曲の一つで、許瑛子さんの作詞です。許瑛子さんのBBSに書いてあった「せつなさは水の色」と言う歌詞に、曲を付けてみたのですが、あまりの迫力のある歌詞なので、幾つかのパターンで作ってはみたものの、とても、私のあるきたりの曲では、笑い者になるだけだと、そのままになっています。ゲームのバック音を適当に付けるのとは、訳がちがいますからね。

楽曲の持つパワーを実感させてくれる名曲だと感じています。

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2006年10月20日 (金)

MODERN WOMAN

コンピュータ技術(ハード)とソフトウエアの面から、ブログ文化を見直している。それを知るには自分が書いてみるのが、最も早い。「帝国に姫君達」をAMEBAに書いている。前にブログ荒らしに遭ったし、今も、消えない怪しげなトラックバックに悩まされている。
さらに、セキュリティーには、もっと問題があると思っている。大きなサーバーに、言わば個人情報(日記)を溜め込んで、それに対する広告料で成り立っているのであるが、今後、目的別にブログ文化は分かれて行くと考えている。
現在、数種類のブログを書いている。インターネットブログに対して、イントラネットブログが存在する。インターネットブログは、タレント(才能)を売り込むには向いているが、ブログとは、クリック数、つまり注目度だけで、済む物なのだろうかと疑念を抱いている。イントラネットブログのほうがは、ある種の業務とリンクしているので、その存立基盤はハッキリとしている。今後、特に書くことが好きでもない人にはイントラネットブログが使われていくと思われる。
120万人が書いているブログがあるが、よく見てみると実際に動いている生きている実数は、10万に満たないと分かって来た。それも、移ろい易いので、その主要なメンバー、(注目を集められる実数)が抜けたら、一気に壊滅する砂上の楼閣なのである。
「夢・パラダイス」では、メジャーデビューをテーマに取り上げた、ゲーム機とネットを使ったエントリーシステムの可能性を探るのが主目的だったので、良いテストが出来たと考えている。 果たして、MODERN WOMAN達は、ブログの中に、何を見出すのだろうか

「 MODERN WOMAN 」は、中森明菜 涙の代わりに収録されている曲である。今、ブログで、メジャーデビューを夢見る若き女性達から、「中森明菜」さんのようなスパースターは出てくるのだろうか?当然、「YES」なのであるが、ただ、注目度が高いだけで、歌が売れたりはしないので、エントリーシステムが必要になってくると思っている。全文、英語の歌詞なのであるが、何時聞いても良い楽曲だ。映画の主題曲のような感じに受け取っている。

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